初秋の晩、中国ロックの元祖として知られる歌手の崔健(ツイ・ジエン)のコンサートに行った。彼のロックは1989年の天安門事件当時、民主化運動に集まった若者から熱狂的に支持され、中国中を風靡した。90年代半ば以降、中国経済の高度成長期とほぼ同じくして長らく表舞台から姿を消していたが、近年、ロックの重鎮として復活。この晩は、日本の武道館に当たる北京工人体育場でデビュー30周年記念のコンサートを開いたのだった。
8万人収容のコンサート会場を埋めた大多数が40,50代のロックっぽくないおじさん世代だった。ファンの中核を成す彼らは中国で「60後」、「70後」と言われる60年代~70年代生まれの人たちだ。高度成長前夜、戸惑いと朝焼けの希望の時代に崔健を聞いて青春を過ごした世代である。その晩、中国の通信アプリ「微信(ウィー・チャット)」は、興奮冷めやらぬ観客が書き込んだコンサートの写真やミニ動画が爆発的な勢いで飛び交った。
一方で、崔健の歌の記憶を全く共有しない若い歌謡曲世代もいる。「今夜は、北京おやじはみな『集団青春葬儀』で工人体育場に集まったそうだな」という皮肉や「崔健の歌は自分が現実に反抗していると想像させる現実逃避の麻薬に過ぎない」という長文評論も目にした。
それにしても、コンサートで目にしたファンの熱気と時間のブランクを感じさせない彼の人気の原因は何か。単なるノスタルジアや現実逃避の産物なのだろうか。
コンサートのあの晩、「崔健、無敵!」と連呼し、大合唱する観客の中で、私はステージに映し出されたヒット曲の歌詞の数々を見て身を震わせた。例えば「あの日、君は赤い布で僕の両眼を覆い、大空を覆った。何が見える?と君は聞き、僕は幸せが見えると答えた。どこに行きたい?と君は聞き、僕は君の道をいくと答えた。」ラブソングのようだが、よく見れば「赤い」主義の寓話でもある。「僕が分かっていない訳じゃない、世界が変わるのが速いんだ」「僕の病は無感覚」「僕たちはもう他人がつけた目印を進む駒にはならない」「現実は石、精神は卵みたいだ。石は頑強だけど、卵こそが生命なのさ」――。こんなロックな歌を、私は中国で他に知らない。その晩は私の麻痺していた感覚も目覚めたようで、なかなか寝付けなかった。
後日、周囲の崔健好きの友人に感動を伝え、彼らはどう崔健を見ているのか聞いてみた。しかし、友人たちは思いのほか口が重く、はっきり語ってくれない。仕方がないのであの晩の微信の書き込みをもう一度読み直してみた。「今夜、僕が聴いたのは歌ではなく、表現だ、僕自身の心の内だ」「炎の流れの如く燃え上がる工人体育場。両手を揚げて歓呼する。重音が僕の胸に金づちで打ち込まれた」――そこに共通する複雑な思いを見たような気がした。
過去数十年間、無数の矛盾を飲みこみながら激変する中国の先端を生き抜いてきた「60後」、「70後」世代。一見、ロックとは無縁に見える彼らだが、心の底には今なお消化不良の苦悩を抱えている。
友人たちが評論家のように饒舌に語ってくれなかったのは、崔健の歌が全く時代遅れになっておらず、友人たちが自分の問題として背負い続けてきた重たい気持ちを呼び覚ましたからではなかろうか。
彼らのロックは現在進行形なのだと思った。
読売新聞 国際版 2016年11月16日掲載 リレーエッセイ・北京