初めて訪れた人は、一目見てぎょっとするに違いない。ミャンマー南部、マレー半島の付け根に位置する港町ベイ。港から車で5分ほど内陸へ走ったあたりにある日本人墓地に並ぶすべての墓石が赤く塗られているからだ。
▽没年の多くは戦前
ベイは11世紀ごろからバガン王朝の都市として歴史に登場し、16世紀にはヨーロッパとの交易で繁栄した。現在もタイとの貿易や漁業基地として賑わっており、ミャンマーの地方都市の中では比較的裕福な住民が多い町として知られている。
日本人墓地はベイの中心部からさほど離れていない場所にある。赤い墓石に黒字で書かれた銘を見ると、没年は大正時代や昭和ひと桁代のものが、出身地は九州各県のほか、和歌山県が目立つ。おそらく第2次世界大戦の前にこの地にやって来た交易や漁業関係者たちなのだろう。日本とベイとの長い関わりが垣間見える。
▽日本兵の墓を守る人たち
ミャンマーにはこのほかにも各地に日本人墓地や戦没者慰霊碑がある。中でも第二次世界大戦末期にたくさんの日本兵が戦死した北西部に多く、戦後70年以上を経過した今も数多くの日本人が参拝に訪れる。こうした墓地を維持管理しているのは、ほとんどが地元の人たちだ。彼らは日本兵をまつる墓を守っていることになる。
ミャンマー人の多くが信仰する上座部(じょうざぶ)仏教には「弱いものを助けることで功徳を積む」という考え方があり、たとえかつての敵であっても敗走してきた兵は助け、彼らが眠る墓地もきれいにしてきたのだという。しかし、戦没者が埋葬されていないゆえに訪れる人がほとんどいないベイの日本人墓地は地元の人にすら長く忘れられ、今年の初めまでは荒れるに任せた状態になっていた。
▽美しさを追求して赤を
この荒廃した墓地を整備したのは、この地で養殖事業に携わる企業家のウーラタン氏。整備しようと思ったきっかけについて、ウーラタン氏は「町の役人との雑談で、日本人墓地が荒れてしまっていると聞き、きれいにして差し上げないとかわいそうだと思った」と語る。
私費を投じ、ジャングルのように草木が生い茂ってしまった墓地を公園とみまごうばかりに生まれ変わらせた。墓碑を赤く塗ったのは、中華系のウーラタン氏にとって良い印象を持つ色である赤を墓碑にあしらうことで、墓地をより美しくしようと考えたからだそうだ。
改修後間もない時期に訪れた遺族会の関係者は、参拝した時のことをこう語る。
「彼から、もしも赤がよくないなら塗りなおしますのでおっしゃってくださいと言われましたが、荒れた墓地をこんなきれいにして下さったことを思うと感謝しかありません」
現在ミャンマーの日本人会では、予算を割いてこの墓地に墓守をおく計画があるそうだ。いずれ、墓碑を塗りなおす話も出るかもしれない。しかし、文化も習慣もまったく異なる縁もゆかりもない人が心を割いてくれたからこその赤い墓碑なのだとしたら、このままでよいのではと思うのは間違っているだろうか。
共同通信:47News デジタルEYE 10月17日配信分