top of page
検索
Global Press

安部かすみ:ジョン・レノン命日にファン偲ぶ ──「銃撃の一報に崩れ落ちた」あれから40年


たくさんの花や写真が手向けられた​ストロベリーフィールズ​。(c) Kasumi Abe


摂氏2度の寒空のもと、ニューヨークにあるジョン・レノン記念碑「ストロベリーフィールズ」は2020年 12月8日、一段と賑やかだった。

ファンが集まり、思い思いにジョン・レノンやビートルズの往年の名曲を歌い、ギターを弾き、楽しそ うに踊っている。

当時40歳だったジョンは1980年12月8日、ここから目と鼻の先にある自身のアパート、ダコタハウス前 でファンに射殺された。今日は40回目の命日だ。

セントラル・パークの西端にあるストロベリーフィールズを、午後4時ごろ訪れてみると、すでに150人 くらいが集まっていた。

毎年欠かさずジョンの命日にここに来ているという女性によると、例年はもっと混むが今年は新型コロ ナウイルスのパンデミックで人出は少ない方だという。

周りの演奏を聴きながらステップを踏んでいたニーノさん(60代)は、ビートルズやジョン・レノンの 音楽と共に育った。もちろん今日ここにやって来たのは、ジョンの命日をファンと共に偲ぶため。「冬 の間は人出も落ち着くけど、夏場になると世界中からファンが集まり、毎日こんな感じさ」と言いなが ら、20代の頃を思い出したのか楽しそうに踊り続けた。

1980年、16歳だったアンドリュー・アインフォーンさん(56歳)。ジョンが死亡した日の記憶はあまり ないが、殺害の2日後、故郷フィラデルフィアで行われた人生初のコンサートのことは今でも鮮明に覚え ている。

「ビートルズ...ではなくブルース・スプリングスティーンのね。アンコールでビートルズの曲を演奏し てくれたんだ。それを聴きながら、悲しくもあり嬉しさも混じりあう、そんな気持ちになったもの さ」。成長と共に、ジョン・レノンの音楽にのめりこんでいったアンドリューさん。「私は無宗教です が、ジョンもそうですよね。彼は自分の発言に対して恐いものなしでした。だからこそ彼の音楽は美し く素晴らしいメッセージ性があるんだ。彼はただ、より良い世界を求めていただけなんだよ」

一輪の花を持って人々の輪の外で演奏に合わせ歌っていたのは、40周年アニバーサリーのこの日、初の 命日イベントにやって来たエヴァリン・マラレスさん。「40年前のこの日、仕事から帰ってテレビをつ けたらジョンが撃たれたって聞いて、その場で崩れ落ちました」。その後ダコタハウスに向かい、すで にやって来ていた大勢のファンと一緒に泣いたという。「ビートルズがアメリカに上陸したとき、私は 12歳の少女でした。私にとって初めて夢中になったグループだったのよ。特にポール(マッカトニー) にね。彼らの音楽のおかげで毎日が楽しくなり、私の人生のすべてだった。ラスベガスまでコンサート を観に行ったのも、とてもいい思い出よ」。

英国リヴァプール出身のビートルズは1964年2月7日、ニューヨークに初上陸。テレビのバラエティ番組 『The Ed Sullivan Show』の出演やコンサートでアメリカデビューを果たし、全米中の人気をかっさらっ た。ジョンは、後に結婚した小野洋子氏と共に、愛と平和を世界に訴えかける活動も精力的にしてい た。あれから世界は少しでも良い方向に進んでいるだろうか。


ジョンがこの世を去って40年経ったが、賑やかなストロベリーフィールズを訪れると今でも(リアルタ イムで知らなくとも)人々の記憶の中にジョンと彼の音楽が生き続けていることを実感する。

これまでも、これからも。 【当日の動画】 https://www.youtube.com/watch?v=peuRSu1OcI8

(Text by Kasumi Abe​ ​Yahoo!ニュース 個人​より一部転載) 無断転載禁止


#ニューヨーク #ビートルズ #ジョン・レノン

閲覧数:0回0件のコメント

Comments


bottom of page