シュロス・フォルラーツのシンボルである塔。
ラインガウ地方は国際的な雰囲気のあるワイン産地だ。ドイツの空の玄関口であるフランクフルトからのアクセスがよいので、世界各地からやってくる観光客で賑わう。同地のブドウ栽培・ワイン醸造教育機関として名高いガイゼンハイム大学にも、世界各国から学生が集まり、卒業生はドイツ国内だけに留まらず、世界中のワイン産地でも活躍している。 現地では世界最古の醸造所のひとつとして知られる、エストリッヒ=ヴィンケルのシュロス・フォルラーツ醸造所で、前ディレクターのロワルド・ヘップさんと再会した。
ドイツワイン史のアーカイヴ
シュロス・フォルラーツでは、1211年にはすでにワイン造りが行なわれていたことがわかっている。醸造所に保管されている、現存する世界最古のワインの販売記録が、その年のものなのである。
醸造所の名称は13世紀の騎士名に由来する。14世紀に入ってからはグライフェンクラウ家が城を継いだ。一族の歴史は1097年まで遡れるという。
グライフェンクラウ家の時代は1997年に終わりを告げ、経営不振となっていた醸造所は99年以降、ナッサウ貯蓄銀行の所有となっている。優れた醸造家でありながら、経営手腕にも長けたロワルドさんは、99年にディレクターに就任し、醸造所を見事に復興させた。
醸造所のシンボルである城の塔は1330年に建てられたものだ。基礎部分の石はローマ時代のものだという。塔はグライフェンクラウ家の住居として使われていた。現在はアーカイヴになっており、1211年から今日に至るまでの蔵書や、醸造所に関するあらゆる資料が保管されている。ドイツでは税務署の取り調べが厳密で、財務、税金関係の資料が比較的きちんと残っているのだそうだ。
2年前、ロワルドさんに塔の中を案内していただいたことがある。サロンの壁面はすべて書棚で占められ、収められている文書はあまりに膨大だった。これらの資料を整理する人員はなく、多くの情報が眠ったままだという。
シュロス・フォルラーツの所有畑は63ヘクタール。うち48ヘクタールがモノポール畑「シュロス・フォルラーツ」だ。 いずれの畑も数年前からオーガニック栽培に移行しており、2022年には認証が下りるという。 栽培されているのはリースリングだけだ。
「リースリングはシュロス・フォルラーツのアイデンティティであり、ほかの品種に置き換えることができない。就任以来、リースリングが長期的に栽培できるように、つねに気候変動に関心を持ち続けてきたんだ」、そうロワルドさんは言う。
畑の変革に取り掛かる
最初に訪れたのは1982年に植え付けされた、フェンスが南北に配置されている畑だった。 猛暑をやり過ごした8月下旬の畑はかなり乾燥していた。2週間前にカバークロップを植えたそうだが、乾燥のせいで生育が遅く、うっすらと緑色の草が見え始めたところだった。シュロス・フォルラーツでは、いずれの畝の間もこうして緑化している。草がある程度成長すれば、それを折って倒し、土を覆うようにして乾燥を防いでいるそうだ。
「当時は、ブドウが一日中太陽の光を浴びることができるようにと南北に配置したが、今後は東西方向がいい。あるいは、充分な日陰を確保できるように、畝の幅を狭くする方法も考えられる。 温暖化に適応するには、あらゆる栽培方法を再検討しなければならない」とロワルドさん。醸造家たちは発想の転換を強いられている。
ラインガウ地方でも近年、猛暑の日に気温が40度くらいまで上昇するようになった。ブドウは強烈な直射日光に晒されると日焼けしてしまう。ロワルドさんもすでに、除葉の方法を変更している。初夏に、午前中の日光が当たる側だけを適宜除葉し、真夏の猛暑が過ぎ去ってから、午後の日差しを浴びる側を少しだけ除葉している。除葉機を導入する場合は、片側だけを稼働させている。
乾燥による弊害を解消するために、収量をさらに減らすという対策も取っている。「3年前から、グリーンハーヴェストを開花直後から収穫の4週間前までの間に、様子を見ながら3、4回に分けて行なっている。一度に減らしてしまった後で、豪雨に見舞われたりしたら、残されたブドウは水分を吸収して肥大してしまうからね」。
ブドウの日焼けも問題になっている。中でもフェンスの両端は、日光がよく当たるため日焼けしやすい。そこで本収穫の1週間前に、フェンスの端っこのブドウだけを先に収穫しているそうだ。「気候変動のために、畑ではこれまで以上に細やかな仕事が要求される」。
シュロス・フォルラーツは独自の水源をもつが、ロワルドさんは、就任直後に敷地内を掘らせて、もうひとつの水源を確保した。灌漑を行なっているのは、新しく植樹した畑だけで、樹齢3年目くらいまでにしておくという。ラインガウ地方では、川の水をブドウ畑に引くルートがなく、どの醸造所も若木を守るために、それぞれ独自の方法で灌漑を行なっている。
ところで、近年ドイツでは、ブドウの成長が早くなる一方で、寒波の到来は遅くなる傾向にあり、アイスワインの収穫が困難になっている。このため、シュロス・フォルラーツでは、アイスワインの畑のフェンスの幅を狭めて低くした。フェンスを覆う葉の数を減らすことでブドウの成長を遅らせ、最初の寒波がやってくる頃に完熟するようタイミングを調整したのである。
「人生の大半において、ブドウの成熟を早めることに挑戦し続けてきたが、いまでは、成熟を遅らせることに挑戦しなければならない。大変だが、こうしてさまざまな対策を考え、実践することはとてもおもしろい」、 そうロワルドさんは語る。
ニューワールドのリースリングから学ぶ
ロワルドさんは以前から、19世紀半ば頃からニューワールドに移住し始めたおもにドイツ系の移民が、移住先に運び出して栽培し続けているリースリングに着目していた。たとえばオーストラリアは、現在のヨーロッパの比ではないほど気候が厳しい。
あるとき彼は、ニューワールドの気候に適応したリースリングを、温暖化しつつあるドイツに里帰りさせて観察することを思いついた。現在、シュロス・フォルラーツのリースリングはすべてドイツ産クローンで、生物多様性を念頭に、239Gm、110Gm、 24Gm、355Gmなど、計11種類 のクローンを取り混ぜて栽培しているが、それだけでは将来に備えられないという危機感を抱いたのだ。
「2013年から、オーストラリアのバロッサ・ヴァレー地域のイーディン・ヴァレー、クレア・ヴァレー地域、ニュージーランド、ボリビアなど、ドイツよりも厳しい環境で栽培されているリースリングのクローンを集められる限り集めて、徐々に里帰りさせ始めた。いまのところ、49種類のクローンが里帰りしている。これで醸造所のクローン数は60種類になった」とロワルドさん。
たとえばオーストラリアのリースリングは、現地の大学や、醸造家のジェフリー・グロセット氏やステフェン・ヘンチキ氏らの協力を得て集めた。移民たちの手によってドイツから南半球へ運ばれ、2世紀近くにわたり、暑く乾燥した気候で栽培されてきたリースリングが、現在のラインガウ地方の気候にどうアダプトし、どのようなワインが出来上がるのか、実験はすでに始まっている。「もしかすると将来、この里帰りクローンが、ドイツのリースリングを救ってくれるかもしれない」、そうロワルドさんは言う。
シュロス・フォルラーツでは過去3年にわたり、栽培が困難な年が続いた。17年には雹害に襲われ、翌18年は乾燥がひどく、後で植えた若い苗木を別の畑に避難させなければならなかった。19年は収量があまりにも少なく、クローン別の醸造はできなかった。
栽培を開始してから7年目にあたる昨年、初めて9種類のクローンを個別に醸造した。いずれも、少なくとも果汁10リットル分の収穫が可能になり、研究用の醸造ができるようになったのである。個々のリースリング・クローンが、どのような風味のワインとなるのか、ロワルドさんからの続報が楽しみだ。
里帰りリースリングである49種類のクローンは、すでに25種類ほどが、個々の特徴を少しずつ現し始めているという。いずれも比較的バラ房で、粒が小さく、リースリングのアロマをしっかり守っている。加えて、軸が丈夫で長期のハングタイムにも耐えるという。葉も抵抗力が強く、触って見るとドイツのクローンよりも粗い手触りで分厚いのだそうだ。カビ菌に対しては抵抗力の弱いものもあれば、丈夫なものもあるという。
ロワルドさんが「リースリング・バイオダイバーシティー畑」と名付けているこの研究畑は、シュロス・フォルラーツ独自のもので、ガイゼンハイム研究所は関与していない。しかし、ロワルドさんは必要であれば情報提供を行なうという。ガイゼンハイム研究所側も、シュロス・フォルラーツの畑をリースリングの「バックアップ畑」などと呼んだりして、ロワルドさんの研究に期待しているようだ。
ロワルド・ヘップさん。2021年からはディレクター職を退き、同醸造所のアドバイザーとなった。
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